ポール・マッカートニーの精神力2

 本ブログ初の記事である、

 「ポール・マッカートニーの精神力」

に於いて、ポールが様々な逆境の中、ウイングスの大傑作アルバム、「Band On The Run」を完成させた、その凄まじい精神力について述べた。未読の方は是非、下記のリンクからページに飛び、目を通してみて欲しい。

 

https://bs-pm.hatenablog.com/entry/2020/09/16/171830

 

 さて、今回は、ポールの精神力の強さを示すエピソードを、もう一つ紹介してみようと思う。それは、ビートルズの敏腕マネージャーである、ブライアン・エプスタインの死後の、ポールの爆発的な楽曲の創作力である。

 

 ここで先ず、ブライアン・エプスタインの功績について紹介しておきたい。彼の存在が無ければビートルズは、世界の頂点に立てる程までの爆発的な売れ方は、しなかったかもしれない。いや、レコードデビューすら、危うかった可能性すらある。

 ブライアンは、ビートルズとマネジメント契約後、様々なレコード会社に売り込みを掛けるものの、断られ続け、デッカ社の担当者に至っては、

 「ギターグループは、もう時代遅れですよ。彼等(ビートルズ)のショウ・ビジネスでの未来は無いですね」

 とまで放言した。それに対してブライアンは、

 「ビートルズは、エルヴィス・プレスリーよりもビッグになります」

 とタンカを切ったそうだ。デッカ社の担当者は、恐らく鼻で笑っただろうが、ブライアンのこの発言は、遠くない未来に事実となるのである。デッカ社のオーディション不合格後、ブライアンは、デッカ・スタジオでの演奏を録音したテープを、EMIに持ち込んだ。その後、紆余曲折を経て、EMI傘下のパーロフォンとのレコード契約が決定した。そして、このパーロフォンには、ビートルズのほぼ全ての作品に関わりプロデュースした、あのジョージ・マーティンが居たというのであるから、鳥肌が立つ程の奇跡としか言いようが無い。まさにブライアンが、必死の思いでビートルズをレコード会社との契約に漕ぎ着け、名プロデューサーとの出会いを実現させたのである。

 その後、ブライアンは、ビートルズを万人受けさせる為の策を必死に考えた。それまでの革ジャンにリーゼントという、不良に見られてしまうビートルズのイメージを一新させた。服装はスーツにネクタイ、さらにライヴ演奏では、一曲終わるごとに全員でお辞儀をさせた。そして髪型は、ポールとジョンが旅行中に影響を受けて取り入れた、マッシュルームカットへと変わった。勿論、ビートルズの楽曲に力が有る事が前提だが、ブライアンの戦略は当たり、ビートルズは爆発的に売れる様になった。

 

 その様な、ビートルズの柱とも言うべきブライアンが、1967年8月27日、薬物の過剰摂取によって死亡してしまった。この時の衝撃をジョン・レノンは、

 「エプスタインが死んだ時、もうビートルズは終わったと思った」

 と発言している。

 

 ポールは、この状況に危機感を抱き、直ちに「マジカル・ミステリー・ツアー」というプロジェクトを立ち上げて取り掛かった。この頃からビートルズ解散までの、ポールの作品の量と質は、尋常ではない。先ずはシングルから見てみよう。

 

「Hello Goodbye」

「Lady Madonna

Hey Jude

「Get Back」

「Let It Be」

The Long And Winding Road

 

 以上のシングルは、全てがポールの作曲で、ブライアンが死去した1967年〜1970年の間に発売され、全てが、全米或いは全英チャートで1位を獲得している。とても人間業とは思えない…

 

 次に、アルバムでのポールの貢献だが、これも凄い。何曲か紹介してみよう。

 

 1.ガリレオ・ガリレイをモチーフに書き、リコーダーの音が印象的な「The Fool On The Hill」(Magical Mystery Tour 収録)

 

2.アルペジオの練習として、多くのギター初心者に弾かれ、ポール自身もアコギ一本でライヴで弾き語る「Blackbird」(The Beatles 収録)

 

3.子供にも受けそうな陽気な曲調で、何回も録音のやり直しをポールから要求されたジョンが、やけになって弾いたピアノがイントロに採用された「Ob-La-Di,Ob-La-Da」(The Beatles 収録)

 

4.元祖ヘヴィーメタルと言われ、多くのアーティストがカヴァーしている「Helter Skelter」(The Beatles 収録)

 

5.天才、ジョン・レノンをして、ヴォーカルを譲る事を要請させた名曲、「Oh! Darling」(Abbey Road 収録)

 

6.曲の断片をメドレーにしたもので、近年のポールのライヴのフィナーレを飾る「Golden Slumbers〜Carry That Weight〜The End」(A bbey Road 収録)

 等々である。

 

 まさに、驚異的という他は無い。ポールは、ビートルズが解散に向かって徐々に分裂していくという逆境に立たされても、その環境に潰されず、何とかグループを盛り立てようとして、元来の比類無き音楽的才能を爆発させ、圧倒的な量と質の名曲を作り出したのである。

 

 勿論、天才のポールだからこそ、この偉業を成し遂げられたのだろう。しかし、いかなる逆境にも折れずに立ち向かう、この精神力は、我が人生に於いても見習いたいと、記事を書きながら思った。

 

 今回は以上。

 それではまた!