ポール死亡説の考察
ビートルズの都市伝説である「ポール死亡説」を、読者の皆さんはご存知だろうか。
その内容は、本物のポール・マッカートニーは、1966年11月9日に交通事故で死亡してしまい、その後はポールそっくりな替え玉の加入によって、ビートルズを存続させていたという、かなりぶっ飛んだものである。
そこで今回は、
1.事の発端と出された推論
2.根拠とされたエピソード
3.替え玉と言われたポールの実績
以上の3点を見て、この都市伝説について考察してみようと思う。
1.事の発端と出された推論
アメリカの大学生が学生新聞に書いた記事が、「ポール死亡説」という都市伝説を生み出すきっかけになった。記事によると、ビートルズの曲の歌詞やアルバムジャケットに、ポールの死亡が暗示されているというのだ。
その後、この記事から発生した「ポール死亡説」の証拠探しが世間的に始まり、噂は瞬く間に世界中に広まってしまった。
そして、
"ポールはレコーディング中にビートルズの他のメンバーと口論を起こし、怒りで不安定な感情で帰りの車を運転した結果、事故を起こして死亡してしまう。その後、世界中のファンを悲しませない為に、残されたメンバーはビートルズを存続させるべく、ポールの代役として、そっくりさんコンテストで優勝した「ウィリアム・キャンベル」を立てて、活動を続けた"
というのが、出された推論であった。
この推論について感じるのは、もし本当にポールが死亡してしまっていたとしたら、そっくりな代役を立てて、ビートルズを存続させるなどという茶番は、ジョン・レノンが絶対に許さなかったであろうという事である。ポールとジョンの絆は、とても深い。二人は、どちらか一方が書いた曲でも、クレジットは連名の「Lennon-McCartney」にするという事を、デビュー前から取り決めていた。お互いに才能を認め合い、絶対の信頼関係が無ければ、到底できない事だろう。
またジョンは、ビートルズ解散後に
「ポールの悪口を言っていいのは俺だけだ。他の奴が言うのは許せない」
「人生のうちで2回、すばらしい選択をした。ポールとヨーコだ。それはとても良い選択だった」
との発言を残している。
ジョンにとって、ポールがいかに掛け替えの無い存在かわかる。そのポールが本当に死亡したのなら、ジョンはその時点で、誰が何と言おうとビートルズを終わらせていただろう。
2.根拠とされたエピソード
次に、「ポール死亡説」の根拠と言われたものを、いくつか挙げてみよう。
●アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の裏ジャケットで、他のメンバーが正面を向く中にポールだけが背を向けている。また、その上に「without you」という文字がある。訳すと「あなた無しで」という意味だ。しかし、この文字は、同アルバム収録のジョージの曲の歌詞であって、それがたまたまポールの上に記されていたという事である。なんと不気味な偶然だろう。(笑)
●ジョンの傑作、「Strawberry Fields Forever」のラスト辺りで「I buried Paul」(私はポールを埋葬した)という、男性の低い声が聞こえるという。これは、ジョンの声なのだが、実際には「Cranberry Sauce」(クランベリー・ソース)と歌っているとの事で、ポールとは全く関係無い言葉である。
●アルバム「Abbey Road」のジャケットに写っているフォルクスワーゲンのナンバーが、「28IF」であり、これは
「もしポールが生きていたら28歳」
という事を示しているという。
他にも「ポール死亡説」の根拠とされるエピソードは沢山あるのだが、キリが無いのでこのくらいにしておこうと思う。よくぞここまで考えたものだと感心してしまう。
3.替え玉と言われたポールの実績
さて、もし「ポール死亡説」が事実ならば、本物のポールが死亡した後から2020年までのポール名義の曲は、全て替え玉の「ウィリアム・キャンベル」の作曲という事になってしまう。その実績はいかなるものか。全米チャートのビルボードで1位を獲得した曲とアルバムを挙げてみよう。
●ビートルズ(シングル)
「Penny Lane」
「Hey Jude」
「Get Back」
「Let It Be」
合計5曲
●ビートルズ(アルバム)
「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」
(ポール作・8曲)
「Magical Mystery Tour」
(ポール作・5曲)
(ポール作・12曲)
「Let It Be」
(ポール作・4曲)
(ポール作・8曲)
合計5枚
●ソロ・ウイングス(シングル)
「Uncle Albert/Admiral Halsey」
「My Love」
「Band On The Run」
「Listen To What The Man Said」
「Silly Love Songs」
「With A Little Luck」
「Coming Up (Live At Glasgow)」
「Ebony & Ivory」(スティーヴィー・ワンダーとのデュエット)
「Say Say Say」(マイケル・ジャクソンと共作)
合計9曲
●ソロ・ウイングス(アルバム)
※何も表記が無い作品は、全ての曲のクレジットにポールの名前が入っている。オリジナル盤のデータで、CD化に伴うボーナス・トラック等は除く。
「McCartney」
「Red Rose Speedway」
「Band On The Run」
「Venus And Mars」(ポール作・11曲)
「Wings At The Speed Of Sound」(ポール作・9曲)
「Wings Over America」(ライヴ盤)
「Tug Of War」
「Egypt Station」
合計8枚
以上である。総計で、シングル1位が14曲・アルバム1位が13枚、驚異的な数字で唖然としてしまう。
結論であるが、そっくりさんコンテストで優勝した替え玉の人物に、これほど多くのヒット作を生み出せる作曲能力が、都合良く備わっている訳が無い。この驚異的な数字こそ、今のポールが替え玉ではない本物であるという事実を、何よりも物語っているだろう。
因みに、1993年に行われたポールの「ニュー・ワールド・ツアー」を収録したライヴ盤、
「Paul Is Live」は、「ポール死亡説」(Paul is dead)のパロディである。
「僕は生きているよ」
と言っているのだ。(笑)
ジャケットは、「Abbey Road」のパロディなのたが、犬に引っ張られるポールが一人で写り、「ポール死亡説」の根拠とされたフォルクスワーゲンのナンバーは、「51IS」になっている。このアルバムがリリースされた時点でのポールの実年齢である。(笑)
この様に、音楽の評価以外のところでも伝説になってしまうポールは、やはり凄い!
今回は以上。
それではまた!