Here Today から溢れるジョンへの想い

 1982年4月26日に発売の、ポール・マッカートニーのソロアルバム「Tug Of War」は、全米・全英1位を記録した大ヒットアルバムである。ポールファンの間では、ウイングス時代の「Band On the Run」と並んで、

 「ポールの最高傑作」

 と評されることもある。僕は、この二枚のアルバムの最高傑作論に対しては、異を唱えたいのだが、それに関しては、また別の機会にしよう。

 

 さて、「Tug Of War」に収録されているのは名曲ばかりだが、中でも

 「白人と黒人の調和」

 をテーマとして、スティーヴィー・ワンダーと共演した「Ebony and Ivory」は、先行シングルとして全米・全英1位を獲得し、世界で反響を呼んだ。

 

 しかし、「Tug Of War」収録曲で、僕の中での最高傑作は、「Here Today」である。この作品は、1980年12月8日にこの世を去った、ジョン・レノンへの追悼曲となっている。

 この日、ジョンは出先から帰宅したところを、待ち構えていたマーク・デイヴィッド・チャップマンという狂人によって狙撃された。数発の弾丸が命中したジョンは、すぐに病院に搬送されたが、医師の懸命の治療も及ばず、息を引き取った。

 

 この際に、ポールが負った心の傷と衝撃は、計り知れない。

 ポールは、1957年7月6日にジョンと初めて出会った。以来、ジョンのバンド・クオリーメンへの加入、ドイツ・ハンブルク等での下積み時代、メジャーデビュー、世界制覇と、数々の苦楽を共にしてきたジョンは、ポールにとって親友・戦友である。いや、もしかしたらそれ以上の存在だったかもしれない。その大切な人を、狂人による殺害という最悪の形で突如、失ってしまったのだ。

 

 そして、ジョンの死後において、初のポールのアルバムである「Tug Of War」に収録されたのが、「Here Today」である。歌詞は、全てがジョンに直接語りかける様な内容になっている。中でも、

 「What about the night we cried?」

 (一緒に泣いた夜もあったね?)

  との一節には、胸が痛む。

 

 ポールとジョンには、共通の深い悲しみがあった。

 ジョンの母親は、ポールがクオリーメンに加入した翌年の1958年に、非番の警察官が飲酒運転する車にはねられて死亡した。

 同じくポールも、クオリーメンに加入する前年の1956年に、母親を病気で亡くしている。

 ポールは14歳、ジョンは17歳で、母親と死別しているのだ。上記の歌詞は、この悲しみを二人で分かち合い、共に涙したということではないだろうか。

 

 ポールは「Here Today」を、近年のライヴで必ずセットリストに入れている。2013年の東京ドーム公演初日では歌う前に、

 「次の歌はジョンのためです。ジョンに拍手を」

 と、日本語で呼び掛けていて、居合わせた僕は目頭が熱くなった。2021年現在、死後、40年という時間が経過しても、ポールの心の中には、ジョンが強く残っている。ポールは最近でも、作曲をしている時に、

 「ジョンだったらなんて言うだろう」

 と考えるという。ビートルズ解散後、様々なアーティストと共作・共演を果たしたポールだが、ジョン以上のパートナーは絶対にあり得ない。

 

 今回は以上。

 それではまた!