生きづらい世の中

 皆さんは、今が生きづらい世の中だと感じたことは無いだろうか。僕は頻繁に感じている。今回は、なぜそう思うのかを書いてみようと思う。

「生産性で人間の価値を測るような世の中は、もうやめよう」

 上記の発言をしたのは、れいわ新選組代表の山本太郎氏である。

 僕は、山本氏の政策や考え方に、全て賛成しているわけではない。

 しかし、上記の発言には大賛成である。

 いまの日本社会は、子供から大人に至るまで、一定基準のハードルを課せられ、それを越えられない人は、たとえハッキリと口に出されなかったとしても、「落ちこぼれ」という目で見られる。

 学生時代は、成績がハッキリと数字に表れて評価され、試験において一定の点数に達しない人は追試を受けることになり、それでも結果が出せなければ、留年もあり得る。常に遊んでいてまともな努力もせずに赤点なら、自業自得と言えなくもないが、真剣に努力した結果、ハードルを越えられなかった人は、不憫としか言いようがない。

 社会人においては、仕事で一定の結果が出せないと、お荷物扱いとなり、「使えない奴」或いは「給料泥棒」といった、人格否定に繋がる様な言葉を浴びせられることもある。

 この様な現実を見ると、いまの日本社会は、山本氏の言うごとく、「生産性で人間の価値を測る」状態と言わざるを得ないと思う。

 だからこそ、生活保護を受ける人に対しても、差別的な見方をする人が多いのだろう。

勿論、不正受給は許されない。しかし、本当に生活に困窮して保護を受けている人の方が、不正受給より圧倒的に多い。

 一定のハードルを、頑張っても越えられない人に対する風当たりが厳しいからこそ、日本では自殺者が多く、先進国の中で国民の幸福度が低い、生きづらい世の中となっているのだろう。

 日本で起きる凶悪犯罪の要因の一つとして、生産性の有無で人生を追い詰められる人が多すぎるという事もあると思う。

 この様な現状を何とかしなければ、日本が行き着くところは弱肉強食の世の中だけだろう。

 「生きているだけで価値がある」

 これも山本太郎氏の言葉である。温かい言葉にとても感動した。

 本当に、そんな世の中になって欲しい。

 今回は以上

 それではまた!