ビートルズ 最初の1枚

 今回は、これからビートルズを聴いてみようと思っている方に、最初に聴く1枚として、お勧めのアルバムを紹介させて頂こうと思う。 

 

 僕がお勧めするのは、「Rubber Soul」である。このアルバムに収録されている曲は、ポールとジョンは勿論のこと、ジョージの作品に至るまで、キャッチーなメロディばかりで、いわゆる捨て曲が無い。(個人的な感想)

 

   次作の「Revolver」には、何曲かキャッチーな曲もあるものの、テープのループや逆回転など、様々な実験的なことを試した末に、サイケデリックな作品となり、それまでのビートルズとは、作風がガラッと変化している。

因みにサイケデリックとは、

 「LSDなどの幻覚剤によって起きる幻覚や心理的恍惚」

 という意味だが、まさにアルバム全体が、幻想的な空気に包まれている。とても良いアルバムなのだが、万人受けする感じではないと思う。

 

 話が少し逸れてしまったが、ここで「Rubber Soul」の収録曲を紹介させて頂こう。

 

1.「Drive My Car」

 作者・ポール

 

 軽快なロックナンバーで、ポールはソロになってからも、この曲をライヴのセットリストに頻繁に入れている。曲名を訳すと、

 「私の車を運転する」

 となるが、歌詞に

 「Beep Beep’m Beep Beep yeah」

 との一節がある。これはクラクションの音を表しているとのことである。間奏のエレキギターが素晴らしい。

 

2.「Norwegian Wood(This Bird Has Flown)」

 作者・ジョン

 

 邦題は、「ノルウェーの森」である。ジョージがビートルズの音楽に、インドの民族楽器であるシタールを初めて取り入れた曲となっている。とても美しいメロディなのだが、歌詞では「Rubber Soul」発売時に既婚だったジョンが、当時の妻以外の女性と関係を持っていたことを表しているらしく、ファンとしては何とも複雑な気持ちになってしまう。

 

3.「You Won't See Me」

 作者・ポール

 

 ビートルズで、長さが初めて3分を超えた曲とのことである。歌詞は、ポールの当時の彼女であるジェーン・アッシャーとの関係を表しているとのことだ。内容を見るに、その時の関係は、あまり良好ではなさそうだ…

   コーラスが曲の聴きどころである。

 

4.「Nowhere Man」

 作者・ジョン

 

 邦題は、「ひとりぼっちのあいつ」である。ジョンが、曲を作ろうとして構想を練るも、良いアイディアが全く思いつかずに苦戦していたところ、数時間が経過した時点で突如としてメロディと歌詞が思い浮かんだとのことで、この作品が生まれた。

 イントロ無しで、いきなりコーラスから始まるのが印象的な曲である。単なるアルバム収録曲とはとても思えず、仮にシングルA面として発表されてもおかしくないほどの、ジョンの傑作の一つだと思う。

 この曲が、突如として思い浮かんだなんて、凄すぎる。ポールは夢の中で「Yesterday」を作曲したというが、この二人の天才の作曲における閃きには、絶句してしまう。

 

5.「Think For Yourself」

 作者・ジョージ

 

 邦題は、「嘘つき女」である。

 作者のジョージが、

 「たぶん政府や権力のことを歌ったものだろう」

 と、この曲に関するコメントを残している。

歌詞には「You're telling all those lies」(あなたは嘘ばかりついている)

との一節があるが、皮肉たっぷりである。(笑)

 

6.「The Word」

 作者・ポールとジョンの共作

 

 邦題は、「愛のことば」である。同じフレーズを繰り返す曲である。普通ならすぐに飽きるところだが、綺麗なコーラスと、フレーズを繰り返すたびに様々な捻りをきかせていることが、何度でも聴きたくなる理由だと思う。

 

7.「Michelle」

 作者・ポール

 

 アコースティック・バラードの名曲であり、歌詞にフランス語が出てくる。

 ポールは、イベントでホワイトハウスにてライヴ・パフォーマンスを行ったが、当時のアメリカ大統領であるバラク・オバマ氏と、その夫人の前で「Michelle」を演奏している。因みに夫人のファースト・ネームも、「Michelle」である。(笑)

 

8.「What Goes On」

 作者・ジョンとリンゴの共作

 

 曲の大部分はジョンによって書かれているが、リンゴも作詞に関わり、作曲者としてクレジットされているという、とても珍しいパターンである。リードヴォーカルは、リンゴである。

 

9.「Girl」

 作者・ジョン

 

 この曲も「Nowhere Man」と同様に、イントロ無しでヴォーカルから始まる。息継ぎをする音がレコーディングされていることが、特徴的である。

 

10.「I'm Looking Through You」

 作者・ポール

 

 邦題は、「君はいずこへ」である。この曲も「You Won't See Me」と同様に、当時のポールの彼女であるジェーン・アッシャーとの関係について歌われている。

 

11.「In My Life」

 作者・ポールとジョンの共作?

 

 この曲も「Nowhere Man」と同じく、アルバムの一曲として収録されているだけなのが、信じられないほどの名曲である。しかし、この曲に関しては大きな問題がある。作曲の貢献度に関して、二人の言い分が食い違っているのである。歌詞に関しては、書いた際の詳細を明確に語っているジョンの手によるものと思われる。ところがメロディに関しては、ジョンは

 「自分が書き、中間部をポールが手伝ってくれた」

 と言い、ポールは

 「自分が30分くらいで書き上げた曲だ」

 と言っている。果たしてどちらが真実なのだろうか…

 

12.「Wait」

 作者・ポールとジョンの共作

 

 元々、前作のアルバムである「Help!」のためにレコーディングされたものの、未収録になっていた曲とのことである。「Rubber Soul」に収録する曲数が足りなかったことで引っ張り出され、晴れて日の目を見ることになった。

 

13.「If I Needed Someone」

 作者・ジョージ

 

 邦題は、「恋をするなら」である。この時点で、ジョージがビートルズで発表した曲は5曲であるが、その中では最高の出来である。ビートルズ日本公演で、ジョージの曲として唯一、セットリスト入りしている。他のメンバーも、この曲の良さを感じていたのではないだろうか。

 

14.「Run For Your Life」

 作者・ジョン

 

 邦題は、「浮気娘」である。ジョンは、自分が書いた曲でも、気に入らなければ容赦なく貶すが、これはそんな曲の一つである。ジョンは、

 「この曲を、好きだったことはない」

 と語っているが、僕には言うほど悪い曲とは思えない。

 

 以上で、収録曲の紹介は終わりである。このアルバムは、一聴して良さがわかる曲ばかりなので、これからビートルズを聴いてみようと思っている方には、とてもお勧めの1枚である。

 

 今回は以上。

 それではまた!

 

 

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「マッカートニーIII IMAGINED」に感じること

 本年(2021年)7月23日に、「マッカートニーIII    

IMAGINED」というタイトルのアルバムが、発売される予定である。

 今作は、昨年(2020年)12月にポール・マッカートニーが発表したアルバム「マッカートニーIII」を、様々なミュージシャンが、カヴァー・リミックス・再構築した作品とのことで、その人選はポールが自ら行っているそうである。因みに、参加したミュージシャンを一部挙げれば、アンダーソン・パーク、ベック、セイント・ヴィンセントなどだそうだ。

 因みに僕は、このアルバムには全く興味が湧かず、今の時点で購入するつもりもない。それは、根っからのファンとして、ポール自身が作曲し、ヴォーカルをとることに大きな意義を感じているからである。2014年には、様々なアーティストがポールの曲をカヴァーしたトリビュート・アルバム「Art of McCartney」が発売されたが、上記の理由で全く感心がなかった。

 まして「マッカートニーIII IMAGINED」は、それぞれの参加アーティストのスタイルで、曲に手が加えられるようなので、個人的にはポールが発表した作品とは、かけ離れたものになってしまうのではないかと考えている。

 

 次に日本においては、今作を購入した人の中から抽選で、ポールの直筆サインが5名に当たるというキャンペーンについて、思うことを述べてみたい。僕は、このキャンペーンのことを知ってとても残念に思い、ガッカリしてしまった。これでは、僕のように今作に全く興味がなくても、ポールのサイン抽選への応募券欲しさで購入する人もいるだろう。

 思えばビートルズは、

 "ファンに二度買いをさせたくない"

   との気遣いから、シングルは基本的に、アルバムに収録しなかった。そして、自分達が作り出す楽曲の質だけで勝負し、世界一のバンドにまで登り詰めたのである。

 ポール直筆のサインは、ファンであれば喉から手が出るほど欲しい。しかし、もしそれ自体が、アルバム購入の動機になってしまったとしたら、いかがなものだろうか。勿論、形としては商売になるわけなので、発表したアルバムが売れなければ話にならないのだが、もしジョンがこのキャンペーンを見たら、一体どのように感じるだろうかと考えてしまった。

 

 今回は以上。

 それではまた!

病気を抱えて働くということ

 詳細は伏せさせていただくが、僕は持病を抱えている。身体・精神を問わずに、病気を患い、治療をしながら社会で働いているという方は、大勢いらっしゃると思う。僕もその一人なのだが、今回は、持病を抱えながら働く上で僕が注意し、心掛けてきたことを述べさせていただこうと思う。

 

1.採用面接の際に、持病について会社に伝える

 

 採用面接の際に、自身の病気に関して会社に正直に事実を伝えておくのは、とても重要なことである。具体的には、

 1.病名と現在の病状

 2.通院の頻度

 3.勤務可能な日数と労働時間

 4.可能な労働内容

 等を伝えると良いと思う。

 

 持病を抱えている状態で、これらの事柄を会社に伝えずに採用されて働くことは、お勧めできない。それは、無理をすれば何れは体調を崩し、それが欠勤等に繋がり、遅かれ早かれ病気が会社に発覚するからである。そうなると、

 「なぜ、採用面接の時に病気のことを話してくれなかったのか」

 等と言われて、会社とのトラブルになる可能性もある。これは、僕自身も経験したことがあるので、それ以来、採用面接の際には持病に関して、ハッキリと会社に説明する様にした。

 

2.医師に自身の病状・勤務状況を伝える

 

 先にも述べたが、自身の限界を超えた無理をしてしまうと、病気の悪化を引き起こしてしまう恐れがある。勿論、生活費を稼ぐという観点からも、労働は重要なことではあるが、身体を壊してしまっては、元も子もなくなってしまう。自身の現在の労働内容や環境等を、通院の際に病状とともに医師にしっかりと伝え、その時々の状況に応じて指示を仰ぐことは、とても大切なことだと思う。

 

3.職場の人間関係を大切にする

 

 僕は、職場で同僚に対して、常に親切に接する様に心掛けてきた。人との良好な繋がりということは、働く上でとても大切である。

 僕の持病を理解してもらった上で雇われた以前の職場で、自身の限界を超えた仕事を上司から割り当てられそうになったことがあるのだが、その際に助けてくれたのは、仲の良い同僚だった。同僚は、その仕事を代わりに引き受けてくれたり、僕に無理をさせないように、会社に掛け合ってくれたりした。

 「人間関係は合わせ鏡」

 というが、常日頃、同僚に親切に接してきたことが、僕が困った時に助けてもらえた一番の原因だと思う。

 

 以上が、僕が持病を抱えて働く中で注意し、心掛けてきたことである。

 自身の病気と職場の都合、折り合いをつけて働くことは大変ではあるが、今回の記事が、同じような悩みを持つ方の参考になれば、幸いである。

 

 今回は以上。

 それではまた!

名曲を封印したポール

 ウイングスのライヴのセットリストを見てみると、今のポールでは考えられないほど、ビートルズナンバーが少ない。1976年に行われた全米ツアーの音源を収録したライヴ盤、「Wings Over America」では、ビートルズナンバーは僅か5曲である。

 

 この頃までのポールは、何をやっても叩かれていたイメージがある。ファーストソロアルバムの「McCartney」には、「Junk」や「Maybe I'm Amazed」といった名曲が収録されており、次作の「Ram」も素晴らしいアルバムなのだが、共に発売当初は評論家から酷評された。しかし、ポールはウイングスで「Band On The Run」・「Venus And Mars」と、傑作アルバムを立て続けに発表することで、世間の評価を一変させてしまった。ウイングスのライヴに、ビートルズナンバーが少ない理由は、これらの作品にポールが絶対的な自信を持っていたことと、"元ビートルズ"という、どうしても付いて回る自分へのイメージを、払拭したかったからではないだろうか。

 

 その後、過去への感情の折り合いもついてきたのか、まるで吹っ切れたかの様に、ポールのライヴは、ソロやウイングスよりも、ビートルズナンバーが多くなっていく。

 

 これまでポールは、ジョンとの共作・合作のビートルズナンバーを、多くライヴで歌ってきた。幾つか挙げてみれば、

 「From Me To You」

 「Eight Days A Week」

 「We Can Work It Out」

 「A Day In The Life」

  等々である。

 

 しかし、二人の共作で、未だにポールがライヴで歌っていないと思われる名曲中の名曲が、2曲ある。

それは、「She Loves You」と「I Want To Hold Your Hand」である。ビートルズ解散後、この2曲をポールがライヴで歌ったことは、僕が知る限りでは無い。

 ポールはなぜ、この2曲を数十年に亘って封印しているのだろうか。それは、曲に対する思い入れの深さゆえに、"ジョンと一緒でなければ歌えない"と、ポールが感じているからではないだろうか。

 「She Loves You」は、イギリスのシングル年間チャートで、1位を獲得している。また、「I Want To Hold Your Hand」は、ビートルズアメリカの週間シングルチャートで初の1位を獲得した、共に記念すべき曲である。

 そしてこの2曲は、ポールとジョンが、共に顔を付き合わせて作曲し、リードヴォーカルも二人で担当したものである。

 大切な思い出として外に出すことなく、ポールの胸の中に納められているのだろう。

 

 今回は以上。

 それではまた!

 


 

フリーザの圧倒的な存在感

 漫画「ドラゴンボール」では、主人公の孫悟空と、多くの敵とのバトルが描かれているが、その中でフリーザは、ボスキャラとして異次元の、圧倒的な存在感を示している。

 

 僕は、「ドラゴンボール」は、フリーザ編で完結にすべきだったと思っている。その一番の理由は、

 "フリーザ以上の存在感を持った敵キャラを、「ドラゴンボール」の中で生み出すのは不可能だった"

 と思うからである。

 

 フリーザが、如何に凄い存在か見てみよう。

 

1.界王も恐れる強さ

 サイヤ人編で、地球に襲来しようとするベジータとナッパを迎え撃つべく、悟空は界王の下で修行し、界王拳元気玉という必殺技を身に付けた。界王は、ベジータとナッパの強さについて、

 "その強さは、自分より上"

 という趣旨の発言で断言するものの、恐れている様子は無く、この二人と戦うことを前提に、悟空を鍛えている。

 しかし、フリーザに関しては、界王の様子と発言が、全く違う。サイヤ人編で殺害された仲間を生き返らせるために、ドラゴンボールを求めて悟空が向かっているナメック星に、フリーザの姿を確認した界王は、

 

 ●相手が悪い

 ●最悪の奴

 ●手を出すな

 ●放っておくしかない

 

 という趣旨の言葉を述べ、恐れ慄いていた。この時点でフリーザの戦闘描写は無いが、界王の発言が、その強さを物語っていた。

 

2.明かされた異次元の戦闘力

 フリーザは、ナメック星のドラゴンボールを確実に入手するために、配下であり、全宇宙から集めた精鋭で構成された五人組のエリート部隊、ギニュー特戦隊を呼び寄せた。グルド以外の四人は、ベジータを赤子扱いできる程の強さだった。悟空はナメック星に到着後、隊長のギニューと対決する。界王拳を発動させた悟空は、ギニューの最大戦闘力12万を大きく上回る、18万という数値を叩き出した。

 この直後に、フリーザの戦闘力が判明する。ナメック星人のネイルと戦うことになったフリーザが、自身の口で53万という異次元の戦闘力を明かした。

 

3.三回の変身パワーアップの絶望感

 フリーザの53万という戦闘力は、全力ではなかった。フリーザは、

 "力があり余り過ぎて、自分でも上手くコントロールできない"

   という理由で、平時は力を抑えていた。変身をすることによって、その力は解き放たれる。

 一回目の変身での実力は、

 "戦闘力にしたら100万以上"

 という趣旨の言葉をフリーザ本人が口にし、ネイルと同化して大幅にパワーアップしたピッコロと互角に戦っている。

 二回目の変身では、それまで善戦していたピッコロが、全く相手にならず、一方的にやられてしまった。

 さらに三回目の変身で、真の姿を現したフリーザは、悟空が20倍界王拳元気玉を使っても倒せないほどの、圧倒的な強さだった。これほどの力の差による絶望感を与えた敵は、それまでに存在しなかった。

 

 

 悟空がスーパーサイヤ人になってフリーザを倒した時に天津飯は、

 "悟空の強さは宇宙一になった"

 "遠い世界の人間になったようだ"

 という趣旨の言葉を述べ、界王も、これを認める様な発言をしている。

 だからこそ、ドラゴンボールはここで完結すべきだったと思う。その後のセルや魔人ブウは、強さはフリーザより上という設定だが、敵としての存在感は、圧倒的に下だと感じる。

 他の漫画でも、これほどの存在感が有る敵キャラは中々見当たらない。

 

 今回は以上。

 それではまた!

 


 

A Hard Day's Nightのジョン

 以前、「A Hard Day's Nightのポール」という記事で、アルバムにおけるポールの貢献度について書いた。未読の方は、下記リンクからページに飛び、ご一読いただきたい。

 

https://bs-pm.hatenablog.com/entry/2021/06/02/144534

 

 今回は同様に、アルバムに対するジョンの貢献度を、10曲も存在するジョン作の収録曲から3曲を紹介し、見てみようと思う。

 

1.「A Hard Day's Night」

 アルバムタイトルと同名の曲で、オープニングを飾るロックナンバーである。シングルとして米・英ともに1位を獲得している。聴きどころは、サビのポールのヴォーカルと、間奏のジョージのギターである。サビのヴォーカルをポールが任されたのは、"ジョンが歌うにはキーが高すぎる"という理由からである。

 

2.「I'm Happy Just To Dance With You」

 セカンドアルバムの前作、「With The Beatles」では、ジョージは、初の自作曲である「Dont Bother Me」を発表した。そして、サードアルバムに至って、ジョージは作曲家として成長し、遂に本領を発揮したのかと思いきや、この曲はジョンが提供し、ジョージがリードヴォーカルを担当したものだった。曲の完成度は高く、ジョンが自分で歌っても良さそうなものだが、当の本人は、

 「ジョージのために書いた曲で、僕には気恥ずかしくて歌えない」

 と述べている。歌詞についての発言だが、自分が恥ずかしくて歌えない内容をなぜ、ジョージには歌わせられるのだろうかと、思わず突っ込んでしまう。(笑)

 曲の完成度が高いだけに、是非ともジョンがリードヴォーカルを取るヴァージョンも聴いてみたかった。

 

3.「I'll Be Back」

 ジョンが、長らく行方不明だった父親と再会したことをきっかけに、書いた曲である。ジョンの生い立ちは、複雑である。父親は船乗りで不在の期間が長く、その間に母親が他の男性と同棲を始めたので、ジョンは母方の叔母に育てられた。その後、父親は行方不明になってしまい、さらに母親が、非番の警察官が飲酒運転する車にはねられ死亡するという、取り返しのつかない痛ましい事故まで起きてしまう。

 ジョンが心に負ってきた傷は、計り知れない。

 この曲では、再会した父親に対しての、ジョンの正直な気持ちが歌われている。歌詞にはこんな一節がある。

 

 「You could find better things to do Than to break my heart again」

 (もっと他にできることがあるだろう。俺の心を傷つけるより素敵なことが)

 

 幼少期から、父親にも母親にも甘えられず、ずっと孤独を感じていたであろうジョンの、怒り・悲しみ・失望といった負の感情が表れていると思う。

 

 ジョンは、アルバム「A Hard Day's Night」で名曲を量産するだけでなく、「I'll Be Back」では、自己の内面を歌詞で表現している。これは、その後の「I'm A Loser」や「Help!」といった、自己の感情を歌詞で吐き出すという、ジョンの作風への序章となる曲ではないだろうか。

 

 アルバム収録曲、全13曲がオリジナルで、ジョンが作曲数で圧倒的にリードしながらも、ポールもジョンに全く引けを取らない名曲を提供している「A Hard Day's Night」は、初期の最高傑作だと思う。

 

 今回は以上。

 それではまた!

 


 

 

 

Here Today から溢れるジョンへの想い

 1982年4月26日に発売の、ポール・マッカートニーのソロアルバム「Tug Of War」は、全米・全英1位を記録した大ヒットアルバムである。ポールファンの間では、ウイングス時代の「Band On the Run」と並んで、

 「ポールの最高傑作」

 と評されることもある。僕は、この二枚のアルバムの最高傑作論に対しては、異を唱えたいのだが、それに関しては、また別の機会にしよう。

 

 さて、「Tug Of War」に収録されているのは名曲ばかりだが、中でも

 「白人と黒人の調和」

 をテーマとして、スティーヴィー・ワンダーと共演した「Ebony and Ivory」は、先行シングルとして全米・全英1位を獲得し、世界で反響を呼んだ。

 

 しかし、「Tug Of War」収録曲で、僕の中での最高傑作は、「Here Today」である。この作品は、1980年12月8日にこの世を去った、ジョン・レノンへの追悼曲となっている。

 この日、ジョンは出先から帰宅したところを、待ち構えていたマーク・デイヴィッド・チャップマンという狂人によって狙撃された。数発の弾丸が命中したジョンは、すぐに病院に搬送されたが、医師の懸命の治療も及ばず、息を引き取った。

 

 この際に、ポールが負った心の傷と衝撃は、計り知れない。

 ポールは、1957年7月6日にジョンと初めて出会った。以来、ジョンのバンド・クオリーメンへの加入、ドイツ・ハンブルク等での下積み時代、メジャーデビュー、世界制覇と、数々の苦楽を共にしてきたジョンは、ポールにとって親友・戦友である。いや、もしかしたらそれ以上の存在だったかもしれない。その大切な人を、狂人による殺害という最悪の形で突如、失ってしまったのだ。

 

 そして、ジョンの死後において、初のポールのアルバムである「Tug Of War」に収録されたのが、「Here Today」である。歌詞は、全てがジョンに直接語りかける様な内容になっている。中でも、

 「What about the night we cried?」

 (一緒に泣いた夜もあったね?)

  との一節には、胸が痛む。

 

 ポールとジョンには、共通の深い悲しみがあった。

 ジョンの母親は、ポールがクオリーメンに加入した翌年の1958年に、非番の警察官が飲酒運転する車にはねられて死亡した。

 同じくポールも、クオリーメンに加入する前年の1956年に、母親を病気で亡くしている。

 ポールは14歳、ジョンは17歳で、母親と死別しているのだ。上記の歌詞は、この悲しみを二人で分かち合い、共に涙したということではないだろうか。

 

 ポールは「Here Today」を、近年のライヴで必ずセットリストに入れている。2013年の東京ドーム公演初日では歌う前に、

 「次の歌はジョンのためです。ジョンに拍手を」

 と、日本語で呼び掛けていて、居合わせた僕は目頭が熱くなった。2021年現在、死後、40年という時間が経過しても、ポールの心の中には、ジョンが強く残っている。ポールは最近でも、作曲をしている時に、

 「ジョンだったらなんて言うだろう」

 と考えるという。ビートルズ解散後、様々なアーティストと共作・共演を果たしたポールだが、ジョン以上のパートナーは絶対にあり得ない。

 

 今回は以上。

 それではまた!